3.「へネス・バイスバイラー監督」
〜愛称「A MAN HENNES (ア・マン・ヘネス=男 へネス)」〜
バイスバイラー家で初めてお世話になった翌朝、ボルシアMGの幹部に紹介され、会長から客員メンバーへの登録を証する金バッジを頂いた。以降、練習参加や遠征同行など木戸御免の待遇で常にバイスバイラーの傍で実戦の指導を見る事が許された。
往復の車中、夕食後の何気ない話から彼の人柄や指導者の心構えがビンビン伝わってきた。私の人生の指針を得る貴重な体験だった。
しかしどうして???死ぬほど感謝する一方、素直な疑問だった。ひょっとして夢ではないか?
彼は当時ブンデスリーガ2部のボルシアMGを1部に引き上げ、若いタレントを育成し、独走中のバイエルンを猛追していた。またケルン体育大学サッカー主任教授としてドイツスポーツ界で最も敬愛された人だった。厳格な顔つきで一見とっつきにくい印象を受けるが、私との出会いに象徴される様に細やかな心配りをする器の大きい人だった。
でも器には限りがある。彼は常に自らを浄化させ、新しい物を取り入れるスペースを心の中に保っていた。子供の様なあどけなさで何事にも大きな興味を示した。健啖家で酒豪の彼は食事をしながら友人との触れ合いを通じリフレッシュしていた。常に自然体で内面と外面に全くズレがなかった。「指導者は自らを取りつくろってはいけない。自分をさらけ出せ」が信条だった。指導者として評価される事より、人間としての評価を重んじる人柄だった。
長い間そばにいて選手ー特に若い選手達への感情的な声掛けを見た事はない。基本的なミスにも大声は出さない。「ミスに一番気づくのは自分のはず。人前で怒鳴るのは傷に塩を塗る事だ。本当に気づかず同じ事を繰り返す選手はその場にいる資格がない。選手よりも資格を与える側に問題がある」との考えによるものだ。
しかし全てを黙認していた訳ではない。自分の意に反するプレーには
■その場で選手の意図を聞く
■すぐには反応せず間を取る
■練習後の静かな雰囲気の中で意見交換する
■相互理解を図り「さぁ行け!」で締める
のが彼の手法だ。
彼の器の大きさ、懐の深さは次の様な考えに基づくものだ。
「多くの指導者は選手から学ぶ事が実に多い事に気づいていない。選手の心や口を封じれば選手とのコミュニケーションが取れないばかりか自分も成長できない。また多くの指導者は理論やマニュアルで選手を縛ろうとする。個性豊かな才能は選手自身の潜在能力を自己開発して実るものだ。だから指導者は選手が自己啓発する道を正しく誘導し、焦せらないで、彼らの自立を耐えて待つ姿勢が大切だ。」
彼はグランドでは個々の選手に対し具体的な指導をあまり行わない。しかし選手への気配り、心配りはグランドの隅々まで行き届いていた。選手の発するアラームランプを素早くキャッチする気付きと居残り練習や対話を呼びかける包容力を持ち、常に選手側にスタンスを置く人だった。
最初の2ケ月の滞在中にどれ位の選手が彼の家を訪れたか分からない。後で気づいたのだが彼は決して自分から用件を聞かずに、まず迎え入れた。自分の貴重な時間を選手の為に喜んで割き、中途半端には終わらせなかった。家庭環境の異なる選手や外国籍の選手達にも差別はなかった。
これが『男 へネス』と呼ばれる所以だった。
(4に続く)